佐藤 ひろによる短編小説集。

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560.ヴァンパイア

孤独の終焉



 ――君だけが。ただ、君だけが。

 ルカ・ヴラド・ドラクルは自分の傍で眠っている少女を見下ろして、ふわりと笑みを浮かべた。愛しい愛しい少女。彼女と出逢えて、何より幸せだった。
 ルカは名のある英国伯爵であるのだが、それ以上に秘密がある。彼は、御歳三百二十過ぎの吸血鬼なのだ。吸血鬼は長命であり、今まで幾度の親しい死を乗り越えてきただろう。
 死ねぬ自分、脆い人間。様々な出逢いと別れを繰り返し、ルカは今なお生き続けている。それは、ただ単に死ねないからというだけではなく、誰かに出逢いたかったのではないだろうか。
「……由佳里ゆかり
 小さく囁く名前は、眠っている彼女の耳には届かない。けれど、手を伸ばせば届く距離に、彼女は確かに存在するのだ。――自分を恐れず真っ直ぐに視線を交わし、触れ合える距離に。
「――どうしたら、君に全てを伝えられるだろうね?」
 溢れる思いは深みを増すばかりで、到底伝え切れるものではない。溢れて溢れて、一生かかってもきっと伝え切れないだろう。それは、彼にとって嬉しいことだった。
「由佳里……いつまで君と居られるのかは分からないけれど、僕は君に出逢ったことを後悔する日は来ないだろう。そんな人と出逢えた僕は、とても幸福なんだよ」
 眠る少女の髪を梳きながら、ルカは小さく笑った。彼女はいつか、自分を置いて死んでいってしまうだろうけれど、それでも。――過ごした日の記憶はきっとなくならない。自分が死ぬまでずっと。

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559.ラララ

外の世界



「あ、結香ゆかちーん!」
「ああ、花村はなむらさん」
 小笠おがさ 結香は車から降りてしばらく歩いた所で、後ろから大声で呼びかけられた。振り向けば笑顔でこちらに手を振っているクラスメートたちが居る。結香が片手を挙げて応えると、彼女たちはわらわらと結香の周りに集まった。
「今日は皆一緒なのね」
「そうそう、さっきそこで会ってさあ! 結香ちんは今日もお車ですかー」
「うん……学校まで結構あるし、夜だからって旦那様が」
 今はもう居ない車を追いかけるように視線を投げた花村に、結香は困ったように微笑わらう。それに花村は手を頭の後ろで組んで、にやりと笑った。
「いやあ、大事にされてますねえ。ラララー」
「そう……かしら? 見張られているだけじゃない? 別に逃げはしないのだけれど」
 花村が茶化すように節をつけて言うのに対し、結香は少し表情を曇らせて複雑な表情で微笑った。それに周囲に居た人間が皆深く溜め息を吐く。それに結香が驚いて周囲を見回すと、花村が結香の肩を抱いて強引に歩き始めた。彼女が始める世間話に、結香は大人しく耳を傾けている。
 その背中を眺めていた他の人々は、各々顔を見合わせて肩を竦めた。
「……大事にされてないなんてとんでもないよねえ。着ている服も高級品で、上品なものばっかり。何で定時に通わせてるかは分かんないけど、毎日車で送り迎え。――たまーに見え隠れする黒服だって、あれボディーガードっちゅーやつだろ?
 ……旦那様が捻くれてんのか、結香ちんが鈍いのか。はてさて……?」
 勿論、この呟きは前で花村の話に笑っている結香の耳には届かなかった。

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558.蜂蜜

甘いものをどうぞ



「……ん、美味しい」
「本当に美味いっ! もう一個良い?」
「どうぞ」
 かみ しょうはぺろりと指についた蜂蜜を舐めながら小さく呟いた。目の前では偶然自宅に招くことになった城島じょうじま ひろしが貪るように同じものを食べている。
 目の前にあるのは母特製のスコーンで、紅茶を飲みながら蜂蜜をかけて食べているのだ。祥はこんなに甘いものを食べていて良いのだろうかと思いつつ、目の前で二つ目のスコーンに手を伸ばした。

 時は少しさかのぼり、祥が日課となった散歩をしている時のことだった。後ろから名前を呼ばれたかと思えば、隣を猛スピードで駆けて行く自転車が一台。よくよく目を凝らしてみると、そのサドルに跨っているのは同じクラスの城島だった。呆気に取られて祥がそれを見送ると、途中でUターンしてきた城島が嬉しそうな顔で祥の傍に寄って来た。
「神ちゃん! 何やってるの?」
「散歩。城島こそどうしたのさ?」
 祥の言葉に城島はしばらく首を傾げ、「俺も散歩?」と応えた。――要するに、用事がなくふらふらしていたのだろう。もしくは、用事を忘れたか、だ。
「何か、お使いでもしてたの?」
「してない。――メモもない」
「そっか。じゃあ、本当に散歩なんだね」
「だね」
 そこで憤慨するのが並の人間だろうというものだが、彼は当たり前のように祥の言葉を受け取る。もっとも、祥と城島の関係が常時こんなものであるため、彼らももう気にしていないのだが。
「神ちゃんはこれからどうするの?」
「ん? もう少し歩いたら家に帰るよ」
「……ついて行っても良い?」
「構わないけど。でも、何もしないよ? 本当に歩いて家に帰るだけ。ついて来てもつまらないよ?」
「神ちゃんが居ればそんなことないよ。それより神ちゃん、俺さあ……」
 祥は喜ぶべきか哀しむべきかと悩んだが、城島の能天気な笑顔を見ていたらそんな考えも失せた。仕方なしに母に突然の来訪者の存在を連絡し、自身はマイペースに散歩を続ける。城島は犬のようにその後をついて来て、そのまま祥の自宅まで辿り着いた。――そうして、今に至る。

「まあ、城島君はよく食べるわねえ! おばさん、嬉しくなっちゃう」
「すっごくすっごく美味しいです! 良いなあ、神ちゃん、いつもこんな美味いもの食ってるのかー!」
「まあね。……ほら、紅茶も偶には飲まないと喉に詰まらせ――たね。ほら、大丈夫かい?」
 余りの勢いに祥が注意を促そうとした矢先、城島は食べていたスコーンを喉に詰まらせて苦しんでいた。それに祥が呆れた顔で紅茶を差し出し、彼はそれで喉のスコーンを押し流す。けれど、城島は全く懲りずにスコーンを食べ続けていた。――本当に呆れた表情でそれを眺める祥を、遠くで母が嬉しそうに眺めていたのにも気付かずに。

Edit 18:12 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

557.フランスパン

正義の味方、集会所の交渉



「……げっ、正市まさいち!」
 突如としてクラスに現れた幼馴染に、私は小さく悲鳴(?)を上げた。だって、そうでしょう? ……学校一とも言われている変人が自分を探しに来たら――私が知る限り、ウチのクラスにアレが用のありそうな人間は居ない――そりゃあ、自分までその<変人>の噂に巻き込まれるのが解り切っているんだから。けれど、私の願いも虚しく正市はキラキラとした笑顔で私の所へと駆け寄って来た。……あーあ。
伊緒いおっ!」
「……何でしょうか、田中たなか先輩?」
 興奮して約束をきっかりさっぱり忘れている正市に対し、せめてもの抵抗で冷ややかに応対する。けれど、相手はそれに全く気付かずに、嬉しそうに顔を紅潮させて勢い込んで言った。
「今日っ! お前ん家の道場、お休みで誰も居ないよな! 使いたいんだけど!」
「はあっ!? あんた、人ん家の道場を何だと思ってんの!? 大体、何に使う気よ! あんなボロ道場、何にも使えないわよ?」
 ウチは剣術道場を営んでいるのだが、実際えげつない戦法を良しとするためにそりゃあもう門下生が少ない。少数精鋭と言えば聞こえが良いが、要するに流行っていないのだ。元々剣道自体が既に時代に取り残されている感がしないでもないのに、更にその中でも取り残されている所為で我が家の家計は火の車。そんなわけで、当然道場の整備も行き届いていないのだ。――その代わり、人力でどうにかなる部分は一生懸命整備しているけど。磨いたり、釘打ったり……ああ、何て物悲しい! ――って、そんなことじゃなくって!
「皆で集まるから広い場所が良いんだ! ウチよりも伊緒の道場の方が皆で集まれて良いだろ!?」
「ウチの道場は集会所じゃないんだけど!?」
「良いじゃん! お願い、伊緒っ! だって、俺んち汚いんだよー!」
「掃除しろっ!」
 正市は一通り駄々を捏ねた後、私が昼食用に作ってきていたフランスパンのサンドイッチに視線を投げて、じーっと私を見つめた。くそ、私負けるな! こんな無言のおねだりに負けちゃいけないっ!
「……伊緒、今日俺お財布忘れたんだけど」
「先生にでも借金しな」
「……美味しそう。伊緒のフランスパンのサンドイッチ、俺が好きなの知ってるだろ!?」
「逆切れすんなっ! ちっ、解ったわよ、これあげるからもう二度と私の所に来ないでっ! 良い、正市! 道場の件もとりあえずお父さんに聞いておくけど、これっきりだからねっ!」
「わあいっ! 俺、この玉子サンドが良い!」
「人の話を聞けよっ!」
 ……ああ、血管が切れそう! 私は思わず立ち上がって正市を怒鳴りつけたが、あちらには全く通用しない。むしろ、私の怒鳴り損。ぐったりして椅子に戻ると、正市が酷く嬉しそうな表情で私のサンドイッチを一つ口に含みながら、去っていくのが見えた。

 ……私が周囲の恐ろしげな視線に気付くのは、その数十秒後である。

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556.同性愛

人を好きになること



「…………」
 最初は、憧れにも似た感情。――人の輪の真ん中に居て、いつでも微笑んでいる彼女。地味で内気な私に、彼女は酷く眩しく見えた。
 それが、恋だと知ったのはいつ頃からだろうか。……同じ性しか居ない全寮制の高校。この特殊な空間の中で、同性に恋をするのはさほど難しいことではない。そう、一種類しか居ないのだから、その中の人間性に惹かれることはおかしなことではないはずだ。
 そう自分に言い聞かせても、やはり心の奥に募る焦燥感がある。自分が、異常なのではないかという恐ろしさ。そして、この想いを打ち明けた時に自分に返ってくるであろう拒絶。その全てが私を苛み、全てを臆病にしていく――。

「……ああ、貴方」
「あ……」
 ある日、偶然に訪れた邂逅かいこう。私は嬉しくて嬉しくて、仕方がなかった。けれど、彼女は酷く遠い目で、別の場所を見ていて。――すぐに解った。私などお呼びでないということが。
「……悩んでいるの?」
 勇気を出して、聞いてみた。せめて、彼女の役に立ちたくて。彼女はそれに少し困った顔で笑って、その後に泣きそうな笑みを浮かべた。
「……解る?」
「少し、だけ」
 いつも貴方を見ていたから、解るの。――そうは言えなかった。彼女は私とは違う。<女>の顔をしていた。だから、そういうことなのだろう。
 私の予想通り、彼女は微笑んで私に少しだけ悩みを打ち明けてくれた。想う人が地元に居ると。けれど、上手く気持ちを伝えられないままに離れてしまったらしい。
 そう呟く彼女の顔は今まで見た中で一番美しく、私の想いなどで曇らせることなどできなかった。――元より、敵わぬ恋だったのだ。そう思う。
 彼女が女性だったから好きになったのか、彼女が彼女だったから好きになったのか。未だに私の中でその疑問を分かつことはできないけれど、唯一言えることがある。――それは、私が彼女に恋をしたこと。傍から見れば異常かもしれなかったけれど、私が彼女に確かに恋情を抱いたこと。
 そして、それが今の私を築く大きな――とても、大きな事柄だったこと。

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555.バーコード

文明の進化



「このQRコードってさあ、何?」
 唐突に尋ねられ、彼女はしばし固まった。いや、いきなり尋ねられても困るのだが。しかし、幼馴染でもある彼は、彼女の困惑にも全く気付かずに再び尋ねた。
「これ、何?」
「……えーと、携帯とかで読み取るやつでしょ?」
「何がどうなるの?」
 知らねえよ。そう言ってやりたい気持ちを彼女はぐっと抑えた。ここで突き放そうがどうしようが、彼は自分の得たい答が出るまで粘りに粘るのだ。……彼女は腹を決めて、パソコンを起動した。
「……今からネットで調べてやる。それを読んで納得しろ」
「手抜きー」
「じゃあ、自分で何とかするんだね。私はもう後は知らーん」
 彼女は彼に投げやりに声をかけ、彼に背を向けて椅子にもたれた。見なくとも判る。彼は彼女の背中に向かって、唇を尖らせているのだろう。



QRコードに関してはこちらが詳しいかと……。⇒QR Code.com

Edit 18:47 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

554.しおり

静かなひととき



「……あ、これ、落ちてるよ?」
「あ、やだ、どうも有り難う」
 山本やまもと 良二りょうじは床に落ちているリボンの付いた白い紙片を拾い上げ、傍に居た伊崎いざき 花笑かえに差し出した。花笑はそれに慌てたように少し瞬き、その後ににこりと笑った。それに山本は何だか久々に彼女の笑みを見た気がして、思わずその隣に腰掛けてしまう。――しかし、その後に自分の行動の脈絡のなさに気付いて、困った顔で花笑と見詰め合ってしまった。
「……ごめん、えーと」
「何か用だったの?」
「……いや、実は全然そんなことなくて。ごめん、何かつい咄嗟に座っちゃった」
 山本が自分に呆れながら立ち上がろうとすると、花笑が慌てたように手を振った。
「別に全然気にしてないから、座ってて! あ、でも……私の隣じゃ駄目かしら? 私が退く?」
「いや、そんなとんでもない。伊崎さんが居たから座ったんだし。伊崎さん退かせたら、そりゃ本末転倒でしょ!」
 二人はお互いに手を振りながら言葉を掛け合い――そして、顔を見合わせて吹き出した。何だか和やかな空気が間に漂い、酷く心地が良い。山本は口元を押さえて俯いている花笑を眺めながら、胸に温かいものが広がるのを感じた。
(――良かった、伊崎さん笑えてる)
 この間から不安だったことが少し解消された気がして、山本は大きく伸びをして晴れやかに笑う。それに気付いた花笑がふわりと柔らかく笑って、山本に問い掛けた。
「……山本君、何か良いことあった? 何だか楽しそう」
「え? あー……そうだね、あったんじゃないかな!」
「何だか意味深な物言いだねえ……まあ、でも、良いことがあって良かったね」
 花笑は山本の言葉に首を傾げながら、ふわりふわりと笑みを形作る。それに山本は何だか浮かれた気分になって、笑顔の大安売りをしていた。

Edit 17:56 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

553.消しカス

正義の味方、捕まる。



「……何やってんの、あんたら」
 私は開口一番にそう言った。――普通、自警に出て補導されるなんて有り得ないでしょ。それに一番に反応したのはさくらちゃんで、彼女はほとんど零しそうな涙を目に一杯溜めて、私の胸に飛び込んできた。
「せんぱああああいっ!」
「あー……悪かったね、さくらちゃんにこいつらのお守は不可能だったんだよね。ごめんごめん」
 よしよしと頭を撫でてやると、彼女は安堵したのかわんわんと泣き始めた。私は彼女を腕に抱えたまま、その後ろで楽しそうに警察署内を観察している二人に視線をやる。――ああ、刑事さんが調書を取ろうにも取れず、消しカスをぐちゃぐちゃといじっちゃってるよ。やばいんじゃないの、これ?
「さくらちゃん、ちょっと向こう行ってて? 横沢よこざわ先輩、さくらちゃんをお願いします」
「おう。大変だったなあ、左倉さくら
 私はさくらちゃんを横沢先輩へと押しやり、竹刀を持って馬鹿どもに近寄る。とんとんとんと三歩前まで歩み寄ると、二人をガツンと竹刀で突いた。
「ぐおっ!?」
「いでっ、あ、おおっ、伊緒いおじゃないか」
「――伊緒じゃないか、じゃないだろうが、この馬鹿どもめ! さくらちゃんを泣かせて……あんたら、本当にあの子より年上なの? もう少し考えなさいよ。挙句、補導された上に刑事さんにまで迷惑かけて……第一、何で交番じゃなくて警察署まで連れて来られてんのよ!」
 私が呆れたように怒鳴りつければ、二人は少しばかり縮こまって顔を見合わせ、「えー、だってえー」と呟き合う。腹が立った私はもう一度二人を竹刀でやっつけてから、私を驚いた様子で眺めている刑事さんに顔を向けた。
「この馬鹿どもが大変ご迷惑をお掛けしました。……あの、つかぬことをお伺いしますが、一体この三人はどうして補導されてしまったのでしょうか?」
「あー……まあ、いわゆる『深夜徘徊』だね」
「……ああ、それはそうですね」
 思わず納得してしまった。そうだよな、高校生が夜に歩き回ってたら、そりゃ深夜徘徊だわな。思わず納得して頭を掻いてしまった私に、刑事さんが不信な視線を向ける。
「君は? この子たちの何?」
「あー……えーと……」
 一瞬考える。けれど、取って置きの笑顔を使って、私は言って良いこと・・・・・・・だけを口にした。
「実は私たち、有志による自警団なんです」
「え? 自警団? ……君たち、どう見ても高校生くらいだよね?」
「はい。実は先日、友人が不逞の輩に襲われるという事態が発生致しまして……その他にも色々と物騒なことが多いですし、それなら町を自分たちでパトロールしたら良いんじゃないかと思って」
「俺たちはゴレンジャ――ガフッ!」
 私は後ろで嬉々として声を上げた正市まさいちを振り向かずに竹刀で倒し、にこりと変わらぬ笑みを向ける。
「とは言え、ただぐるぐる町を回って、時折変な人を見かけたら大声で人を呼んだりするくらいしかできませんけれど」
「そりゃあ危ないよ、お嬢ちゃん。君、剣道やってるみたいだけどさあ……」
「――師範代っ!?」
「はいっ?」
 刑事さんが呆れた顔で私にお説教をしようとしたその時、別の方向から呼ばれて思わず振り返る。――そこには、ウチの道場に通っている門下生の一人が立っていた。刑事さんだったのね、あの人。
「ど、どうしてここに……」
「ちょっと、友人が補導されまして……高島たかしまさん、刑事さんだったのですね」
 高島さんは私の言葉に驚いて寄って来る。私は仕方なしに状況を説明し、再び復活して変な言葉を挟もうとした正市を再び沈めた。高島さんは私たちの言葉に大きく頷き、それから調書を取ろうとしていた刑事さんに向き直って言った。
「この人たちのことは心配要らないよ。――こちらのお嬢さんは俺が通っている剣術道場の娘さんで、師範代を勤めていらっしゃる曽根そね 伊緒さんだ。
 冷静な判断力と決断力、更に実力も申し分ない。こちらの方が居れば、この自警団に関しても全く問題はないだろう。……師範代、危ないことはなさらないでしょう?」
「当たり前ですよ。私だって命は惜しいですから」
 高島さんは私の返答に満足気に頷き、補導を取り消すように刑事さんに進言してくれた。どうやら高島さんはこの警察署内でも発言権が大きいようで、あれよあれよという間に釈放となった。しかし、後々別の刑事さんに補導されないように、自警団を続けるためにいくつか条件を出されたのである。

「……一目で分かるように、印を、ねえ……」
「でも、六人全員で動きなさいっていうのは有り難いですう! もう、私二度と先輩と離れませんからっ!」
 さくらちゃんはあの馬鹿二人と居るのが本気で嫌になったらしく、先程から私の腕にくっ付いて離れない。あちらの馬鹿二人は初めて入った警察署内に興奮を隠せないらしく、キラキラと少年の輝く瞳でそのことについて語り合っていた。――おい、誰の所為でこんな目に遭ったと思ってやがる。
「――別に、続けたかないんだけどなあ」
「なにいっ!? いや、続けるぞっ! ゴレンジャーは永遠に不滅だー!」
「五月蝿いっ!」
 私は振り返り様に竹刀で正市を攻撃する。しかし、それは意外にも機敏な動きで逃げられた。――くそっ、読まれたか。
「……まあ、続けるなら何とかしないとね……腕章でも着ける?」
「コスチュームを――グアッ!」
 私はやってない。……あ、笹津ささづさんだ。笹津さんが突っ込んだんだ。有り難や、有り難や。
「……正市、どうしてもゴレンジャーしたいって言うのなら、腕章の色を変えたら良いでしょう。ここまでは譲ってあげる。
 あー……でも、そしたら何か自警団の名前を決めなくちゃいけないのか」
「俺が! 俺が考えるっ!」
「俺もっ!」
「却下!」
 正市と善郎よしろうに任せたらとんでもないことになる。私はぐるりと視線をめぐらして、商店街の前にあるアーケードの入り口に目を留めた。
「……ここ、東三丁目だっけ。じゃあ、東三丁目自警団でいかがでしょう?」
「捻りがないっ!」
「格好悪いっ!」
 約二名から不満が噴出したが、残る三名は大きく頷いて了承した。四対二で多数決となり、結局『東三丁目自警団』に我々の名前は決定する。……正市が凄く不満そうな顔をしていたが、腕章作りを任せたら少しだけ機嫌が直った。――どんな腕章が出来上がるのか正直不安で仕方ないが、これくらいはさせてやらないと可哀想だ。
 私は小さく伸びをして、星が瞬く空を見上げた。――明日から、また厄介事が増えるんだろうなあ。

Edit 10:09 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

552.車内

ドライブ?



「……車だ」
「そうだね。馬鹿みたいに口開けてないで、ほら、乗んなよ」
 私はぽかーんと目の前に停められた車に大口開けて驚いた。その車体にもたれているのは勿論まさ兄で、彼は私を手招いて笑った。――悪質な笑みで。
「ど、どうしたの、この車」
「んー? 実は僕もよしもこの間免許取ってさ、折角だからってことで父さんが新車の買い替えの時に古い車を僕らにくれたんだ。
 ……とは言え、美幸よしゆきは滅多に家に寄り付かないし、使わないのも勿体無いかなと思って」
「それで、何で私の所に?」
 私の質問に、雅兄が嫌な笑みで笑った。――あ、何か、ヤバイ扉を開いてしまったのかしらん?
「一人で運転してもつまらないでしょ? だから、みわを道連れにしようと思って」
「何で、<道連れ>って言葉が出て来るのよっ!? やだ、乗りたくない!」
「だーめ、ほら行くよ。みわがこの前言ってた、駅前の美味しいケーキ屋さんに連れて行ってあげるから」
「いいっ、歩いて行くー!」
 私は門柱に噛り付いて首を振る。けれど、雅兄の力に私が敵うはずもなく……敢えなく車内に引きずり込まれた。雅兄は私を助手席に押し付けると、ささっとシートベルトをしてしまう。更に素早く運転席に乗り込んだ雅兄は、私が降りようとする前に車を発進させてしまった。
「ははは……事故った時には一番死亡率が高い助手席の気分はどうだい?」
「いーやーっ! 何でそういうこと言うのーっ!?」
「勿論、嫌がらせに決まってるじゃないか」
「……おかーさーん……!」
 私の悲鳴は雅兄の高笑いによって掻き消された。――幸いにも何でも器用にこなす雅兄の運転は至極まともで、私は無事に駅前のケーキ屋さんの前で地面と素晴らしい再会を果たしたのだった。

Edit 17:30 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

551.愚か也

正義の味方、逃げる。



「じゃ、そろそろ行くぞ」
「え。皆でぞろぞろと移動するわけ?」
 自称キャップ田中たなか 正市まさいちが大きく宣言したが、私は余りにも要領が悪いと思ったために声をかける。それに正市は「何を馬鹿なことを」という表情で私に視線を投げ、ふっと笑った。
「馬鹿だな、伊緒いおは。――五人揃わなきゃゴレンジャーじゃないじゃないかっ!」
「馬鹿はお前だっ!」
 思わず竹刀でやってしまった。しかし、ここで漫才やってても仕方ない。私は小さく溜め息を吐いた後、ぐるりと周囲を見回して言った。
「……六人も居るんですし、せめて二手に分かれましょうよ。皆でぞろぞろ行っても仕方ないと思いません?」
「思いまあす! あ、さくらはあ、曽根そね先輩と一緒が良いなあ」
 それに真っ先に手を挙げたのはこの中で唯一の一年生、左倉さくら 八重やえ。「さくら」という一人称は名前ではなく名字だというのがいじらしいじゃないか。しかし、その後続いて何人もが挙手をした。
「お、俺も曽根と一緒が……!」
「おっれもーっ!」
「俺も。――あんたが一番まともそうだ」
 ……正市人気ねえなあ。思わず、私の傍らでようやく痛みから復活した男を見下ろす。正市は私のジャージのズボンを掴んで、じーっとこっちを見上げている。ズボンが下がるので、もう一発決めておいたが。
 とは言え、私が五人引き連れて正市一人で別ルートなんてこともできはしない。仕方なしに、私は実に公平な手段に出た。
「グーパーしません?」
 実に簡単な手遊び……というか、二分方法だ。やり方は極めて簡単、じゃんけんのグーとパーのみを使うのだ。掛け声で一斉に出し、数が割れた瞬間に決する。私は「はい、グッとパーで分かれましょ!」と掛け声を掛け、反射的に反応した他五人は思い思いのものを出した。
「……ヨシ、お約束はやめろ」
「エヘ」
 勿論、お約束はチョキだ。――私は善郎よしろうに竹刀で攻撃を食らわせてから、もう一度やり直した。結果は、私・笹津ささづ横沢よこざわ母村ははむら・左倉・田中チームだ。……可哀想にさくらちゃん。
「……ずるういっ! せんぱああいっ! 酷すぎですう!」
「いや、仕方ないじゃない? 二人のお守頼むわ。……じゃ、行きましょうか」
 私は問題児二人を抱えて泣きそうなさくらちゃんを他所に、アダルト二人組を促してルートを辿るために踵を返した。……さくらちゃん、君の犠牲は無駄にしない!



「……あらま」
 しばらく行った先で突然囲まれた。まあ、ジャージと柔道着とここいらでは有名な不良の組み合わせだ、普通に考えて囲まれるわな。ちょっと柄と頭の悪そうな輩どもは私らを見てニヤニヤ笑っている。私が困って頭を掻くと、彼らは楽しげな口調で言った。
「ようよう、姉ちゃん。随分と面白い格好の奴ら連れてんじゃないか。あんな変なヤツラよりも俺らの方がずっと良いぜー?」
「あー……通してくれませんかね?」
 できれば厄介ごとは避けたい。ためにちと友好的に話し合いで解決しようとしたが、相手は全く受け入れてくれなかった。あーあ、喧嘩は嫌なんだけどな。まあ、やっぱりジャージで良かったかも。
 私は先程しまった竹刀を再び取り出して、片手で提げる。あいつらが何かをする前に、私は目の前の男に対し攻撃を繰り出した。――股間に一撃。痛いだろうなあ。
「うっぎゃあっ!」
 目の前から悲鳴が上がる。後ろで小さく笹津さんが「えげつねえ」と呟いたのが聞こえた。――えげつないのがウチの流派なんです。
 私は一人を踏み台にして、もう二、三人竹刀で打ち倒す。そして、そのまま遁走した。……だって、喧嘩嫌だし。疲れるしさ。笹津さんはすぐに私の意図が解ったようで、隣の横沢さんを連れて一緒に走り出す。ああ、ジャージで良かった。やっぱり走りやすいよ。
 ――とは言え、喧嘩で補導されることもなくルート巡回を終えた私たちは、その後再集合地点で別チームが不審な動きで補導されたことを知り、派手な喧嘩をせずに逃げた意味を失うことになる。
 つか、補導されるような馬鹿な真似すんなよな、高校生にもなって。……可哀想に、さくらちゃん。

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550.野良犬

お嬢様と犬



 彼は泥まみれで森に倒れていた。――彼は、親に口減らしのため捨てられたのだ。野獣に襲われ、何とか逃げたもののもう息も絶え絶え。後もう少しで死ぬのだろう、そう彼が朦朧もうろうとした意識の中で考えていた時、傍を馬の足跡が通り過ぎ、しばらくした後に止まった。
 バタバタとたくさんの足音の後に、無遠慮に顎を掴まれ顔を上げられる。霞む視界の中に見えたのは、金に輝く美しい光だった。



「――お嬢様、ジョセフィーヌ様」
「何よ、鬱陶うっとうしいわねえ。聞こえてるわ、言いなさい」
 彼は目の前で自分を無視して優雅に紅茶を飲む少女に、内心溜め息を吐いた。あの時自分が見た金の光――それは彼女が持つ豊かな金髪だったのだ。しかし、彼女はその天使のような容姿に全くそぐわぬ、悪魔のような心の持主だった。



 拾われて大きなベッドに寝かされていた彼は、起きてまず驚いた。見たこともないような美しい部屋に、清潔なシーツが掛けられた豪華なベッド。貧しい村で生まれ育った彼にとって、それはまさしく別世界だった。
 更に彼を覗き込んでいたのは、金髪の愛らしい少女。にっこりと微笑む姿はまさに天使で、彼はきっと神が彼女を遣わして自分を助けてくれたのだと思ったほどだった。――が、現実はそんなに甘くない。
「あら、目を覚ましたようね」
「あ、あの……助けて頂いてありがと――」
 彼は最後まで礼を述べることすらもできなかった。何故なら、目の前の天使が高らかに笑ったからだ。それも、いかにも悪質な方の笑みで。
「お馬鹿さんねえ、貴方! 私が貴方を助けた? いいえ、拾ったのよ。貴方はこれから私の<犬>としてここで生活するの。私の言いなりになって、一生私に仕えるのよ?
 私はね、人助けなんて大っ嫌い! 奉仕精神なんて反吐が出るわ。私は私のやりたいようにやるの。そして、貴方は私に拾われた。――飼い主に犬が従うのは当然のことでしょう? 貴方もそうやって私に従うのよ。
 そうそう、犬には名前が必要だわね。……では、貴方の名前はレオン。今日から私の犬よ。ふふふ……楽しくなりそう」
 彼は沈黙するしかなかった。――他に何ができただろう。広い屋敷にたくさんの使用人。逃げようと思って部屋を出ればたちまち使用人に取り押さえられ、庭に逃げれば犬と用心棒に追い回される。彼にとって唯一癒しだったのは、食事を与えられ、清潔な寝床と衣服を与えられたことぐらいだ。
 時折彼が押し込まれている部屋に現れた少女は、彼の寝ているベッドの脇に高慢な態度で座り、彼がどういう態度を取るべきか高らかに演説して去って行く。彼女がこの屋敷の一人娘だということは、彼が回復して本格的なを受けた時に知ったことだった。



「――三時からモーリス伯がお見えになりますが」
「だったら? 私はお会いしないわよ」
「お嬢様っ! 無茶を仰らないよう。……貴方の婚約者候補ですよ」
 彼の言葉を目の前の少女は鼻で笑った。ちらりと視線だけ彼に向けて、彼女は言う。
「だからと言って、私が彼に会わなければならないという理由にはならないわ。――それで私の婚約者候補から脱落するのなら、それだけのこと。
 第一、私はね。どんな男でも構わないのだもの。父が亡くなってから公爵位は私が継いだのだし、別に相手がわざわざ貴族でなくても、私の血さえ引いていれば良いんだから」
「ジョセフィーヌ様、滅多なことを仰いますな!」
 彼が拾われて早十年近く経とうとしているが、彼の主の常識外れは未だ全く改まる気配がない。今や、彼女付きの使用人と同じ仕事を割り振られている<犬>の彼以外、このジョセフィーヌに面と向かって意見できるような人間は居なかった。
「……せめて、お会いしてご自分でお断りして下さい。我々にとばっちりを与えないよう」
「それも給料のうちでしょう? ねえ、レオン」
 彼――レオンは小さく溜め息を吐いた。そう、言うだけ無駄というものだ。しかし、言わなければならないのが彼の辛い立場である。
「……お嬢様」
「レオン、私の可愛い犬。――言うことを聞きなさい」
「…………仰せのままに」
 何とか翻意を促してみるも、この台詞・・・・を言われてしまえば、彼はもうなす術もない。彼は彼女の<犬>であり、絶対服従の生き物なのだから。
「――鬱陶しいこと」
「困った方だ、本当に」
 ジョセフィーヌは窓の外を眺めて小さく呟く。それにレオンが小さく溜め息を吐いて頭を掻くと、彼女はそこで初めてニヤリと笑った。
「あら、こんなに心優しい飼い主はそうそう居ないと思うけど?」
 彼は賢明にも、返答することを控えた。

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549.つまようじ

番格



「……ねえ、あんたって何でいつも爪楊枝咥えてんの? 汚くない?」
「いや、俺は番格だから。番長は口に何か咥えてるものなんだよ。草とかな」
 彼女はその発言を聞いた時、正直に「この男は馬鹿だ」と思った。しかし、彼は冗談ではなく至極真面目に爪楊枝を咥えており、彼女は尚更に「この男は本当に馬鹿なのだ」と続けて頷く以外にない。まじまじと彼女が彼を見つめると、彼は少し恥ずかしそうな顔で付け加えた。
「……こうでもしないと番格に見えないんだよ」
「別に見えなくて良いと思うけど……」
 彼の容姿は柔和だ。特に私服を着ている時は。
 しかし、爪楊枝を咥えていたからと言って、全員が番格なわけではない。そこらのおっちゃんも咥えている。――それを指摘すべきかどうか、彼女はしばらく悩んだ。しかし、結局言わない方が彼のためだと結論し、ただ首を振るだけに留めたのだった。

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548.冬季限定

冬の口どけ



「……はるかさん、顔色悪いですが大丈夫ですか?」
「ちょっと、研究が行き詰っていてな」
 私の言葉に悠さんは青い顔のまま頷いた。普段は仏頂面でも優しい雰囲気が滲み出している人なのに、今はまるで幽鬼のよう。私はこれはちょっとやばいんじゃないだろうかと思って、まじまじと悠さんの顔を見た。
「……大丈夫だ、この山さえ乗り切れば楽になる。心配しないで良い」
「悠さん……無茶しないで下さいね」
 不安だ。学校勤めから既に遥か遠く離れてしまった私だから、もう悠さんのような辛さは解らない。それどころか、家で双子の面倒を見ながら家事をすることは、私にとって楽しいことであって辛いことではない。何だか自分の身分に申し訳なさが募って、思わず俯いてしまった。
 悠さんはそんな私の頭をさらに撫でて、白い顔で笑う。
「俺は俺のやるべきことを、お前はお前のやるべきことを、だ。――のどか、双子を頼むぞ」
「……はい!」
 しっかりと返事をしてから、あるものの存在に気付いた。……実を言えば、双子に内緒で自分へのご褒美として買っておいたもの。あれ、出すのは今じゃないだろうか。
 私は慌てて踵を返し、戸棚の置くからあるもの・・・・を取り出す。まだ封を切ってないそれを、私はそっと悠さんに差し出した。
「これ、持って行って下さい。疲れた時には甘いもの、でしょう?」
「……チョコレート?」
 私が差し出したのは、冬季限定のちょっと高めのチョコレート。悠さんはそれをしげしげと眺めた後、私の顔を見下ろした。まさか一人で食べようとしていたのがばれたんじゃなかろうな、と思って顔を赤らめていると、悠さんはふっと笑って私の頭を掻き混ぜた。
「――有り難う、貰って行く」
「今日も頑張って下さいね。無理しないで、元気に!」
「ああ」
 私の言葉に悠さんは少しだけ口の端を上げて応え、私が渡したチョコの箱を鞄に詰めて出て行った。私はというと、やっぱり少しだけチョコに未練が残って、思わずお腹を押さえてしまったのだった。

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547.電卓

書類の島



「……どういうこと?」
「どうした、菊子きくこ?」
 同室で仕事をしている沢原さわはら 菊子が漏らした声に、鷹司たかつかさ 圭亮けいすけが眉を上げた。彼女はその声に視線を向けず、手元の電卓を打ち続けている。普段の彼女には珍しいその様子に、圭亮は眉間にしわを寄せて立ち上がった。
「――合わないのか?」
「ええ、多少の差額は仕方ないかも知れないけど、これは酷くずれ過ぎてる。おかしいわ」
 菊子はもう一度書類の全てを計算し直しつつ、傍にやって来た圭亮に書類を見せる。彼はそれを覗き込んでから、同じように眉間にしわを寄せた。
「……さて、どこがちょろまかしたんだか」
「ご冗談。その全てのしわ寄せが私に来るのよ」
「あいつらを集めて、その辺り全部洗い直せ。……俺の支配下で、そんなことはさせるか」
「了解。――会議室取るわよ」
「いや、会議室じゃなくてここでやってくれ。俺の監視下でやってもらわねば落ち着かん。――内部犯の可能性だって否定できないわけだからな」
 圭亮の冷酷とまで言える言葉に、菊子は嫌な顔をした。それに圭亮は肩を竦め、ニヤリと笑う。
「お前と違って、周りは敵しか居ないものでな」
「私は下僕なんて居ないわ」
「それは人徳と権力ってものだろうよ」
 圭亮のその言葉に、菊子は今度こそ本当にしっかりと顔をしかめた。しかし、圭亮は菊子のその態度すらも面白いらしく、ただからからと笑うだけで彼女に指先で指示を与る。それに菊子はただ頷くことで応え、颯爽と生徒会室を出て行った。

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546.昼御飯

再びの乱入者



「やあ、理生りおちゃん」
「……どーも、先輩」
 昼飯時に現れた男に、野村のむら 理生は小さく溜め息を吐いた。――柴田しばた けい、高三。ひらひらと手を振る様さえ美しい、美貌の男だ。理生は彼と関わり合いになって以来、自分に降りかかる不幸を思って小さく溜め息を吐いた。
 前回、彼女に降りかかる災難について、しつこいほど問い詰められたのだが、その割には災難は減らない。それどころかエスカレートしている始末で、正直この男は役に立たないという印象が既に理生に芽生えていた。
「黒幕、見つけてきたよ」
「ぶっ!」
 もっさもっさと弁当を食べる理生の耳元で囁かれた言葉は、予想外で。理生は思わず食べていた弁当を喉に詰まらせかけた。慌ててお茶を飲んで嚥下えんかするものの、涙目で相手を見上げるしか今の理生にはできなかった。
「前々から、どうも僕と関わりのある女の子が段々暗くなって、最終的には僕と縁を切っちゃうんで気にはなってたんだよねえ。
 でも、彼女たちの予想外としては、理生ちゃんが全くそれに動じてないってことなんだろうね。お蔭で俺もようやく尻尾を捕まえることができました」
「……それはようござんした。先輩、私も別に災厄を呼んでいるわけでも、動じてないわけでもありませんから。できることなら、災厄は避けたいわけで」
 暗に私に関わるのをやめてくれ、と告げる理生に対し、慧はにっこりと微笑んで返す。
「勿論、今からとっちめに行って来るから。大丈夫、多分……もう君に被害はないよ」
「いえ、そういう意味じゃなくて――ああ、行ってしまった」
 しかし、相手は理生の言葉を取り違えたまま、悠々とした足取りで去って行ってしまう。理生は再び自分に災難が降りかかるであろうことを予測して、深い深い溜め息を吐くしかできなかった。

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545.挨拶

正義の味方、作戦会議中



「今回の巡回ルートはこれだ!」
 ボス(仮)の田中たなか 正市まさいちが、ブラックの笹津ささづ 大智だいちを片手に掴まえたまま、ミニプロジェクターを使って、ある画像を校門の塀に写した。それは全く良くできたもので、この辺の地図に赤い色でルートが示されているものだ。ご丁寧にある程度のポイントもあるようで、そこに番号が振ってあった。
「はいはーい、レッド! あいつが襲われた場所ってどこー?」
 そんな中、場違いなまでに元気な声が響く。蛍光黄色の男、母村ははむら 善郎よしろうだ。
 ……因みに、あいつ・・・というのが今回の事態の原因である。いや、原因というのは可哀想かも知れない。――彼は、不心得者に襲われ、全治三ヶ月という怪我を負わされたのだから。その彼の大の仲良しであったボス(仮)田中がその事実に憤怒して、それに巻き込まれたのが私たちというわけだ。……もっとも、共通の友人には違いないのだけれど。
 しかし、ボス(仮)田中の反応は私の予想に反するものだった。
「ヨシロー! 俺はレッドじゃないっ! キャップだっ!」
「……何ですかあ、それ?」
 それに呆れたような声を上げたのは、ピンクの左倉さくら 八重やえ。彼女は出で立ちさえ除けば、この中ではかなりまともな部類に入る。――と言うか、あちらの自称キャップとイエローがおかしいだけなのだけれど。
「俺は飽くまで総司令! 今度から俺のことはキャップって呼べっ! 挨拶は『お早う御座います、キャップ』だ! わははははは!
 そんで、実務はお前ら! 俺はバックで研究開発をして、お前らに素敵な武器を――」
「開発するな!」
 思わず持ってた竹刀で突付いてしまった。何て恐ろしいことを言い出すんだ、この男は。実は大変遺憾ながら、私とこのキャップ、幼馴染である。そうでなければ、こんな下らない茶番に誰が付き合うだろうか。しかしながら、私はこれの幼馴染であったがために無理矢理付き合わされざるを得なかったのである。
「行くならとっとと行こう。時間なくなる」
「ぐふっ……伊緒いお、他人の振りしたいんじゃなかったのか……!?」
「したかったけど、このままじゃ埒明かないじゃないの。あんたと幼馴染なんて、その他全てを明らかにされてもまだ隠しておきたいことの一つだったけれど、それも仕方ない。どうせここに居る時点である程度の関わり合いが分かってしまうんだから」
 私がボソボソとあいつを突付きながら呟いていると、後ろからどすっと音がして蛍光黄色の腕が引っ付いてきた。ウンザリして後ろを振り返ると、間近にキラキラと瞳を輝かせたヨシローの顔が。
「ヨシ、重い」
「すっげ、お前何で教えてくれないんだよー! 先輩と知り合いならさっさと紹介してくれたって良かったじゃん!」
「関わり合いになるのが本当に嫌だったから他人の振りしてたんだよ。……こんな風に厄介ごとに巻き込まれるのは解ってたからさあ」
 私は竹刀の柄でヨシローの脇腹をゴスッと押して肩から振り払い、ようやく立ち直ったらしい正市に視線を投げた。彼は何故かブラックに縋り付いて立とうとしている。……可哀想に、笹津さん。
 仕方なしに竹刀でスーツの襟元をひっ攫い、私が彼を持ち上げる。それから全員に向かって言った。
「じゃ、厄介ごとはとっとと済ませて帰りませんかね?」
「――い、いおっ、首がじまっ……!」
 後ろで呻き声が聞こえたが、無視。とりあえず、竹刀の先を少し下げてやっただけ。後ろからむせる声が聞こえたが、気にしない。すると、あちこちから何故か視線が集まっていた。――ブラックまで、何故。
「レッド!」
「先輩がレッドですよ!」
曽根そねレッド!」
「レッドって言うなっ!」
 あちこちから恐ろしい呼称が。思わず反論したけれども、終いには後ろの正市でさえ、私の腰に縋り付いて「レッド」と呼び出す始末。(勿論、彼には竹刀の柄で攻撃しておいたが)
 しかし、大変遺憾ながらこのレッドという呼称、私に深く深く染み付いてしまうこととなる。――お蔭様で、色々と厄介ごとが私に舞い込んで来ることになるのだが、それはまた後にお話しすることにしよう。

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544.楽にして

正義の味方



「ちょっと待て」
「何でしょう?」
 曽根そね 伊緒いおは集合場所に集まって、まずリーダー格の男に声を掛けられた。振り返ってみれば、何故か非常に険しい表情。
「……何でジャージなんだ」
「動きやすい格好が一番じゃないですか」
 集まりの目的が目的だ。いざという時に逃げられる格好じゃないと。
 しかし、相手はそうは思っていないようで、酷く険しい表情を崩そうとはしない。じーっと見つめられて、私は溜め息を吐いた。
「……別に良いじゃないですか。どうせドタバタやるんでしょうが」
「我々は正義の味方、世間の味方だ。――それがジャージなんて、締まらないだろうが!」
 そう言った男の格好は、何故かスーツ。どう考えても、これから悪を懲らしめるという格好ではない。……革靴で走ったら滑るし、足痛くなると思うんだがね。
 そう思って、私はぐるりと回りに集まった人間を見遣る。……結構皆、痛々しい格好をしていた。ノリノリだ。正義の味方なんてノリノリじゃないとできないのかも知れない。

 ここで一度状況を整理してみよう。
 実は我々、ただの高校生――ではない。一応学校は同じなのだが、皆実は人とは少し変わった特技の持主だ。
 先程私に絡んできたリーダー格の男は……まあ、性格は見ての通りでアレなんだが、アレで実はメカニックのスペシャリストだ。裏で色々と荒稼ぎしているらしい。……少し分けて欲しいもんだ。
 他に後五人居て、リーダー格はボス、以下ゴレンジャーのつもりなんだろう。そして、誠に残念ながら、私もその中に含まれている。
 ピンクの実に可愛らしい――ロリータファッションと言うのだろうか、ひらひらふわふわのお洋服を着ているのは、この中でのピンク担当(多分)の女の子、左倉さくら 八重やえちゃん。一年生。本人は「八重」という名前は古めかしくて余り好きではないらしく、「『さくらちゃん』って呼んで下さいっ!」と息巻いている。あれで実は射撃の達人。腕に提げている可愛い藤籠の中には、各種様々取り揃えているらしい。……恐ろしいことだ。
 その隣で彼女のお相手をしているのが、お人好しなブルー担当(因みに色は私の独断と偏見が過分に含まれている)、横沢よこざわ やすし。やっさんと呼ばれる彼は三年生、先輩だ。大きな身体と優しい心、縁の下の力持ち。柔道の有段者で、多分ボス(仮)に押し切られたんじゃなかろうか。可哀想に。因みに彼の格好は、何故か柔道着だ。……まあ、彼のユニフォームなんだろうが。
 ボス(仮)と一緒に話しているのがカレー大好きイエロー(……何故イエローにだけこのような通説があるのだろうか?)、もとい、明るいムードメーカーでイエロー担当の同級生、母村ははむら 善郎よしろう。古風な名前の割に、本人はかなり軟派。イチローから取って「ヨシローと呼べ」と私に強要してくる結構ウザい奴でもある。……呼ばないと拗ねるんで呼びますがね。彼もまた奇天烈な蛍光黄色のパーカーにずたぼろジーンズ、更にじゃらじゃらの鎖という、今時ファッション……なのだろう。多分。
 そして、薄暗がりで一人校門にもたれている一匹狼キャラ、ブラック担当の笹津ささづ 大智だいち。三年。この人は一匹狼の不良で有名。喧嘩はメッチャクチャ強いらしい。顔の良さで女が引きも切らないらしいが、この人は女性嫌いの気があるらしく、全部すげなく袖にしているんだとか。……もてない人間からは羨ましい限りである。何でここに居るのかはサッパリ判らんが、多分ボス(仮)に無理矢理引っ張り出されたんだろう。ついでに彼が一番まともな格好だ。ジャケットに白いシャツ、穴の空いてないきちんとしたジーンズ。……中身がまともじゃなくても、外見がまともな人間が居ると安心するのは何故だろうか。
 そして、最後の一人、目立たないグリーン担当の私、高二の曽根 伊緒となるわけだ。戦隊物では紅一点が基本だが、今回は紅二点。……多分、私は男性陣に含まれてるんだろう。因みに私は剣道有段者。一応古剣術と呼ばれる殺人剣流派の道場の子供だ。一撃必殺、急所狙いというえげつない剣法だが、未だに頑張ってのさばっている。因みに一人ジャージ。高校のを着ようかとも思ったが、身元が判るとかなり恥ずかしいのでやめた。――まあ、それはともかくとして。

 レッドが居ないゴレンジャーだが、気にしないことにしよう。そう思ってぐるりともう一度周囲を見回すと、ボス(仮)――田中たなか 正市まさいち(三年)は、ニヤリと悪どい笑みを浮かべて、ずんずんと校門にもたれて沈黙しているブラック笹津をひっ捕まえた後に宣言した。
「では、参ろうぞ!」
「「「おーっ!」」」
 応答した三人に、勿論私は含まれない。



 ――そんなこんなで、田中ボス(仮)の提唱によって始まったゴレンジャー(自警団)は夜の街に繰り出すことになるのだが、私はこれから起こる出来事に対して、本当に楽な格好のジャージで良かったと心からそう思った。

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543.ささやかに祝福

照らされる闇



「……秋初あきはさん!」
「はい?」
 勢い込んで呼ばれた名前に、観月みづき 秋初は少し気圧されて振り返った。そこには酷く緊張した顔で、そっと白い箱を差し出す同居人、志筑しづき れいの姿が。その白い箱を見て、秋初は首を傾げた。
「ケーキ、ですか?」
「……やっぱり、覚えてない。全く……良かったですよ、買ってきておいて」
「は?」
 秋初は志筑のいかにも不満気な口調に尚更訝しげに首を傾げる。しかし、彼は常よりずっと剣呑な視線で秋初を見つめ、深い深い溜め息を吐いた。
「今日は、秋初さんのお誕生日でしょう? ……やっぱり忘れていましたね。最近忙しかったので、無理もないのかも知れませんけど」
「え……? あ、本当だ。今日だったんですね」
 秋初は志筑に指摘されて、初めて今日が自分の誕生日だったことを知る。カレンダーの今日の日付は、確かに自分の生まれた日を示していた。
「これ、誕生日のケーキです。それから、すぐる様からもお誕生日祝いが数々届いてます。……入りきらないので、車の中に置いてきてますけど」
「……は?」
 秋初は驚いて絶句した。入りきらないので・・・・・・・・、とはどういうことか。――想像がついてしまった彼女は、頭を押さえて溜め息を吐いた。
 駆け落ちして仲違いしたまま死んでしまった娘。その娘の一人娘である自分に対して、彼が異常なほどの負い目と愛情を持っていることは知っている。だが、それを受ける秋初は全く彼の責任を感じていないので、こんな風に過分なものを受けてしまうと、逆に心苦しく感じてしまう。小さな溜め息とともに、後で高そうなものは送り返そうと彼女は固く決意した。
「……改めまして、秋初さん、お誕生日おめでとう御座います」
「あ……有り難う御座います。……誰かにお祝いしてもらうなんて、久し振りですから嬉しいです」
 秋初からするりと出された言葉に、志筑は表情は笑顔のままでも内心は顔をしかめる。――つまりは、父親が居なくなって以降、彼女の母親は秋初の誕生日を祝わなかったということなのだろう。志筑はそんな彼女に胸が締め付けられるような気持ちを感じながら、ケーキを冷蔵庫に仕舞っている秋初を眺めていた。
「今日は勝様の方にどうしても外せない用事ができてしまったので、ささやかながら私が一足先にお祝いさせて頂きますね。本祝いは後日また、勝様が」
「……別にそんなにして頂かなくても結構ですのに。私は、今日お祝いして頂けただけで十分ですよ」
「そんなわけにはいきません。――秋初さん、私たちは貴方をベタベタに甘やかしたいのですよ。もっと我儘わがままも仰って下さって結構ですのに」
 志筑の言葉に秋初は顔をしかめる。苦笑して、彼女は応えた。
「……もう十分、甘やかして頂いてます」
「駄目です。もっとです」
「――無茶を仰らないで下さい」
「それでも、ですよ。……是非、いつかとんでもないおねだりでもなさって、私たちを嬉しいてんてこ舞いにさせて下さいな」
「…………考慮しておきます」
 秋初は志筑の言葉に今度は呆れた笑みを浮かべ、肩を竦めた。それに志筑は少し不満気な表情を浮かべる。しかし、何だか少し嬉しそうに照れた秋初の表情を見て、彼も嬉しそうに口元を緩めた。

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542.配列


<この作品には流血など不快表現が含まれます。苦手な方はご注意下さい>

異常なひとびと



桜重子さえこ!」
 相原あいはら 桜重子は後ろから掛けられた声に振り返る。そこには自分と同じ境遇の男が皮肉な微笑を浮かべて立っていた。
「ドナテルロ。終わったの?」
「僕はね。桜重子は?」
「私も血液検査で終わり」
 桜重子はほっそりとした白い腕を擦りながら答えた。これから血を抜かれるのだが、そのやり方を思うとぞっとする。最悪の場合、腕を切り開かれることすらあるのだから。
「……大丈夫だよ、いつも血液検査は慣れた人がやるじゃない。まさか、<原細胞適応体アンティーク>の僕らにど素人を回すはずないでしょう。……大事な実験体でもあるんだから」
「……そうね」
 桜重子はドナテルロの皮肉った言葉に小さく頷き、自分の腕を見遣る。怪我の治りが早すぎる所為で、時折治療や検査中に、機具を身体に入れるために空けた穴すらも塞がってしまう時があるのだ。そうなったら身体を切り開いて抜くしかなく、桜重子たちはいつも苦しい思いをしなければならない。特に注射針で空けた小さな穴は、すぐに針を身体に入れたまま塞がってしまうのだ。ドナテルロも桜重子もその苦痛は既に何度も経験済みで、否応なしに気分が落ち込む。
「折角だから僕もついて行こうかな。クリフォードも、もう終わったのかなあ?」
「どうでしょうね……あの人はこういう検査が嫌いだから、案外どこかに逃げちゃっているかも」
「有り得る。……それで怒られるのが僕らってのも、理不尽な話だよね」
 血液検査室に向かいながら、二人はぼそぼそともう一人の<原細胞適応体アンティーク>について話し合う。<原細胞アーク>の所為で精神に異常を来たした男、クリフォード・スミスは桜重子たち<原細胞適応体アンティーク>の中でも、特に<欠陥品けっかんひん>と目されている。事実、彼の言動は異常であり、同じ立場である桜重子たちとも相容れないものがあった。

「……また、遺伝子が変容していたりして」
「有り得ない話じゃないとこが怖いよねえ……」
 血液検査室が見えた頃に桜重子がボソリと呟いた。以前の検査で、彼女たち<原細胞適応体アンティーク>の遺伝子配列が異常な配列を示していたのだ。その変容に科学者たちは色めき立ち、桜重子たちは嫌悪した。
 桜重子はもう一度、血を吸われるであろう腕を擦って溜め息を吐く。
「……異常、か」
「桜重子、それでも僕らは一人じゃない。……僕が居るから、淋しくないよ」
「――貴方って、意外に淋しがり屋さんよね。でも、有り難う。行って来るわ」
「ここで待ってるから、早く終わらせてきて」
「……それは私じゃなくて、あちらに言って頂戴」
 検査室の扉を開けようとしながら、桜重子は苦笑して言う。それにドナテルロが笑い、彼女の黒髪が検査室の扉に隠されるのを見守った。彼は壁にもたれて溜め息を吐き、小さく呟く。
「……いつまでこんなことが続くんだか」
 ――彼の質問に答える人間は、誰も居ない。

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541.コンセント

返信



「本当に、ほんっとーに、良いんだな? 返事しちゃうぞ?」
「くどい。構わないと言っている」
 ミシェルは真っ白な便箋の前で、何度も何度も上司に念を押した。それにユーグは柳眉を上げて彼女を見下ろし、溜め息とともにうんざりとした調子で頷く。それにミシェルは未だ不安そうな様子を隠そうともせずに、そろそろと机についてペンを取り上げた。

 今度の給料日に送ったのは、いつもの金貨と……王都に来たがる家族への了承の手紙。多分、今度の返信で詳細な日程などが届けられるのだろう。ミシェルはそれでも不安を隠せずに、暇さえあれば家の中をうろうろと歩き回って考えを廻らせる。それにユーグが呆れた顔で彼女を眺め、肩を竦めて言った。
「私が大丈夫だと言っているのだから、落ち着けば良いものを」
「そうも行くか。こっちは金と命が掛かってるんだ、そうそう簡単に安堵できるもんかい。――やっぱり、頷かなければ良かったかな」
 ミシェルはかなり渋々了承したのだが、やはり考えを廻らせる度に後悔の念が押し寄せる。家族とは会いたい、村とは違う垢抜けた王都を見せてもやりたい。だが、家族を支えるための仕事を、これで失うわけにはいかないのだ。……そう、父親が完全に復調するその日までは。
 もうミシェルの父は大分調子も戻って、少しずつ仕事にも復帰しているらしい。しかし、今まで休んでいた所為で仕事の勘も鈍り、腕も少し鈍ったようだ。それを考えると、やはりまだまだこの良賃の仕事は逃せない。あの小さな村で仕事を干されてしまえば、それこそ生活は成り立たなくなるのだから。
「……あー……くそ、何であたしがこんなに悩まなくちゃいけないのよっ!」
「ミシェル、口調」
「ああ、もうっ! 解ってるよっ、馬鹿っ! あああ、何で俺の上司がお前みたいな冷血漢なんだー!」
 余りに悩みすぎて混乱し始めたミシェルを面白そうに眺めながら、ユーグは手元の紅茶に口をつけた。

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540.リボン

穏やかな指



結香ゆか、もう学校へ行く時間だろう?」
「はい、旦那様」
 結香は革鞄を抱えて階下に降りようとしていたところで、下から主に声を掛けられた。彼女はそれに従順に頷き、階段の下で自分を見上げている男――桐島きりしま 広志こうじもとへと降りて行った。
「結香、リボンが曲がっている。――お前の身だしなみが整っていないと私の品位を疑われるのだから、しっかりしなさい」
「あ……申し訳ありません、旦那様」
「ほら、できた。――じゃあ、行くよ」
 不快そうに顔をしかめた男に指摘され、結香は慌てて自分の胸元にあるリボンへと視線を移す。けれど、自分で手を伸ばすより早く、目の前の男の指が素早く彼女のリボンを解いて、再び美しい形へと結び上げてしまった。何だか昔に戻ったような複雑な気分を感じて瞳を伏せる結香に対し、広志はあっさりと彼女を玄関へと促した。

 結香はこの家からかなり離れた場所にある定時制の高校へと進学した。桐島邸――昔は結香の祖父である小笠おがさ 賢蔵けんぞうの家だったのだが――からは、交通の便が悪く、いつもこうやって広志の外への仕事のついでに送ってもらっている。また、帰りも若い娘の一人歩きは危ないからと、同僚の使用人たちに説得されて、車を使わせてもらっていた。
 窓に映った隣で書類を繰っている男を眺めながら、結香はそっと溜め息を吐いた。それに気付いた広志が顔を上げ、結香に問い掛ける。
「……学校は面白くないのかい?」
「え? いいえ、面白いです。……今までお付き合いしたことのないようなタイプの人が居て、世界が広くなりました」
「そう……定時には悪い人も居るから、そういう人たちに染まってはいけないよ。友人付き合いをどうこう言うつもりはないけれど、身持ちを崩すようなことはないようにね」
「はい、肝に銘じておきます」
 気のない様子で釘を刺す広志に、結香はしっかりした声で返事をする。それに広志は軽く頷き、再び書類へと意識を戻していった。それを隣で感じながら、結香はもう一度吐きそうになった溜め息を飲み込む。
 隣り合う車内で、昔は数え切れないほどの話をしていた。――けれど、今はもうそれはできない。結香は失ったものの大きさに胸を押さえ、そこに空いた穴がいつまで経っても埋まらないのを悲しく思った。

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539.奈落

行き止まりの袋小路



「だから、何で……っ!」
 再び追い詰められた片山かたやま 志穂しほは、酷くにこやかな笑みを浮かべる目の前の男に震える声で問い質した。しかし、相手は志穂の怯えも質問も全く行動抑制の一端にならないようで、壁際に追い詰めた志穂の顎を支え、酷く裏のある笑みで笑った。
「――そんなもの、お前が一番よく知ってるだろう?」
 反論しようとした声は無理矢理に塞がれて、相手の唇の中に消えた。

 ぐるぐると志穂の頭の中で言葉だけが回り続ける。
 何で、どうして、無理矢理ってどうよ、この人は私のことなんて何とも思ってないじゃない……納得いかないことだらけで、頭の中はパンク寸前。けれど、彼女が解ったことはたった一つ。――彼からのキスは強引な割に優しくて、嫌悪感はなかったこと。
「――っぷはっ……あんた、何す」
 呼吸がままならずに息を切らした志穂が相手を真っ赤な顔で睨み付けると、相手はニヤリと笑いながら湿った唇を指で拭った。その仕草の色っぽさに思わず固まる志穂を他所に、目の前の男は笑う。
「理由ぐらい、自分で考えろよ。――俺は素直に答を教えてやるほど、優しい男じゃないからな」
 図々しいくらい堂々とした態度で男は笑う。壁に沿わせて力の抜けた身体をずり落としながら、志穂は目の前の不条理に絶句するしかない。――いつの間にか行き止まり(しかも、袋小路)まで来ていた自分の立場にぞっとして、志穂は頭を抱えるしかなかった。

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538.倒れる!

彼と彼女の関係



 あ、倒れる! ……彼女は目の前の背中が揺らいだ瞬間にそう思った。同時に学ランに包まれた背中が自分の方へと傾き、次の瞬間には崩れ落ちる。咄嗟に手を差し伸べた彼女は、自分よりずっと大きな身体を支えるために、血管を危険にさらすこととなる。

「――ほんっとーに! すみませんでしたっ!」
「いえ、無事で何よりだと思いますよ」
 咄嗟に大騒ぎして周囲の人間に助けを求め、彼を保健室へと運んでもらった。ただ、彼女が彼を一人で支えたことはどうやらたちまち噂になったらしく、後々復活したらしい彼が彼女に謝罪にやって来た。その余りの腰の低さに、彼女自身も引いたくらいだ。
「別に、人として当然のことをしたまでですから、お気になさらず」
「はあ……いえ、本当にすみませんでした」
 何回目かの「すみませんでした」に彼女はウンザリと顔をしかめる。どうやら一つ上の先輩らしいが、そのような人物に何度も頭を下げられるこっちの身にもなって欲しい。――彼女の堪忍袋もそろそろ限界になっていた。
「本当に本当にご迷惑をおかけしま――」
 彼の言葉は途中で途切れる。それは、彼女が鼻先に指を突きつけたから。思わず固まった彼に対し、彼女は真っ直ぐに彼を見据えて言った。
「それは聞き飽きました。私は『ありがとう』と一言で終わりにして頂きたいです」
「……『ありがとう』」
「どういたしまして。先輩、お大事に」
 彼が呆気に取られて鸚鵡おうむ返しに呟くと、彼女は満足気に一つ頷き、鮮やかな受け答えで踵を返して去って行った。
 置いてきぼりにされた彼は彼女の細い背中を見送りつつ、一人茫然と立ち尽くしていたという。

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537.もう少し、あと少し

振り返る、その人へ



「……うそ」
 羽鳥はとり ゆうは幼馴染からの突然の告白に小さく呟き、今はもう遠くに消えてしまったその背中を眺めていた。今までずっと隣に居てくれた存在が急に消えてしまったようで、侑は足元がぐらぐらと揺らぐのを感じる。まるで急に地面が消えてしまったようだ。ふらついて、思わずへたり込みそうになった時に、後ろから誰かが侑を支えた。
「おっと、大丈夫?」
「……山田やまだ、くん」
 普段ならばこんなに近くに居たら赤面して声も出ないであろう自分が、茫然と至近距離にある顔を見つめている。侑はまるで自分の信じていたものを全て打ち壊されたような気分で、彼の顔を見つめ続ける。山田はそんな侑を立ち上がらせて、壁に背中を寄りかからせる形にした。
「悪いけど、女の子の話を聞く時はなるべく距離を取ることにしてるんだ。――勘違いされたくない人が居るから。まあ、それはともかくとして、俺でよければ話を聞くよ?」
 普段ならば、舞い上がって喜ぶところだ。けれど、今の侑には何ら魅力的に感じられなかった。ただ、縋るものが欲しくて、彼の顔を見つめる。乾いた声が喉に張り付いた。
「……幼馴染に、今さっき……告白、されたの。
 ずっと隣に居た人で、ずっと変わらないと思っていた……のに、私のこと、好きって。私、旺太おうたに何もしてない。もらってばっかりで、何もできないのに……なんで」
「旺太……って、Dの長内おさないのこと?」
「知ってるの?」
 侑は山田の口から旺太のことが出てきて始めて、意思のある視線を山田に向けた。それに山田は口元に小さな笑みを浮かべて、時折自分を何だか刺し殺しそうな視線で見つめていた男の姿を思い浮かべた。
「一応、元同じクラスだし。……何か、お人好しだよね」
「お人好しだし、おっちょこちょいだし、すぐ忘れ物するし。――山田君とは全然違うよ」
 ぽつりと印象を述べれば、倍以上の言葉が返ってくる。山田はそれに内心苦笑しながら、彼女の方へ視線を投げた。いつの間にか物思いに耽るように少しうつむけられた表情は、柔らかい。多分、幼馴染について思い出しているのだろう。山田は、好意が混じって分からなくなるほどに交わされた思い出の多さに、羨ましくて目を細めた。
「……好きじゃないの?」
「好き、だけど……でも……」
 侑は山田から掛けられた問いに迷わず答え、しかしすぐに尻すぼみになる。――自分が好きだと思っていたのは、目の前の男。それなのに、どうしてこんなに胸が痛くなるのだろう。
「――他に誰か、好きだと思っている人が居たの?」
「やまだくん。……貴方が、好きだったの」
 ぽつりと零れた告白は、二人の間で何の意味も持たなかった。ただの音が零れ落ちて、廊下を転げて行っただけ。侑はいつの間にか夕焼けが差し込み始めた廊下の先を眺めた後に、小さく呟いた。
「……そうだと、思っていたの」
「うん。……ありがとう。――でも、気付いたのなら、行っておいで。手遅れになる前に、行って、ちゃんと伝えないと。
 言葉は、伝えるためにあるんだからね」
 最後の言葉は、侑の背中に掛けられたものだった。ぐるりと踵を返して走り去った侑を見送りながら、山田は肩を竦めて笑う。――上手く行けば良いと心から思う。
「さて、自分の方はどうなるやら……」
 山田は小さく呟いて、夕焼けに染まった廊下を侑とは逆方向にゆっくりと歩き始めた。

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536.云っちまえ。

振り向いて、この手を



旺太おうた
ゆう
 長内おさない 旺太は廊下で偶然、幼馴染の羽鳥はとり 侑に出逢った。最近の彼女は随分と柔らかく笑えるようになって、旺太はホッとしているところだ。
 廊下で偶に立ち話をしても、以前のように追い詰められたようなキリキリとした印象は持たない。旺太はどこか少し吹っ切れかけている侑の様子に、嬉しさ半分淋しさ半分で笑いかけた。

 彼女が山田やまだ 太郎たろうへの叶わぬ想いを少しずつ消化させていっているのは、嬉しい。けれど、そうやって侑が落ち着いてしまったら、「心配」という口実でもって侑に近付けなくなってしまう。
 旺太は自分が情けなく思いながら、それでも侑の傍に居られる自分の口実を手放せないでいた。侑のことを思っているなんていうのは本当は嘘で、彼こそが侑がいなければ生きていけないのだ。――ああ、何て違いだろう。
 彼女が好きになった山田 太郎は、誰に何と言われようとも(そして、本人にどれだけ拒絶されようとも)自分の信念を貫き通す覚悟があった。けれど、自分にそれはない。旺太は余りにも自分とかけ離れた侑の想い人に、敵わないものを感じていた。

 ある日の放課後、再び旺太は廊下で侑と行き会った。
 ちょうど帰宅部の人間はほとんど帰り、部活動の人間はそれぞれの活動場所で活動に勤しんでいる時間帯で、廊下には人気がない。遠くから聞こえる運動部の声が、小さく響いているだけだ。
 そんな中で彼女と世間話をしていた旺太の耳に、ふと悪魔が囁いた。――云っちまえよ。
 旺太は一度は首を振る。けれど、それは甘い囁きだった。――云っちまえよ。今なら、振り向いてもらえるかもしれないぜ。……旺太は、その囁きに抗し切れなかった。
「――侑」
「何?」
 もう、これで隣には居られなくなると旺太は少しだけ哀しくなる。けれど、もう口は止まらなかった。
「……侑が好きだよ」
「え……?」
「昔からずっと、ずっと。侑が別に好きな人が居ると解っていても、やっぱり侑が好きだったんだ……」
 話していた侑の表情が強張り、歪む。そうしたのが自分だということに、旺太は堪らない気分にさせられた。けれど、心の片隅では終わらないループのような自分と侑と山田を直線で結ぶ関係に終止符が打てたことにホッとしても居て。旺太は固まったまま動かない侑の左肩をぽんと叩きながら、彼女の脇を通り過ぎた。
「――困らせて、ごめん。でも、俺ももうどうにもならなかったんだ」
 振り向いて、この手を取ってくれるのなら。それなら、どんなに良いだろう。けれど、彼女の思いは歪まない。真っ直ぐに向いた気持ちは、自分の方へは届かない。――だからもう、終わらせてしまおう。

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535.カウボーイ

日に焼けた絵本



「……これは」
 小笠おがさ 結香ゆかは掃除中の部屋であるもの・・・・を見つけて身を屈めた。そこにあるのは日に焼けた薄汚れた絵本。よく見てみると、スライド式の本棚の奥、更に下の段に隠されるように入れられていたのは、皆見覚えのあるものだった。
 結香は何故このようなものがここにあるのだろうと思いながら、そっとそれに手を伸ばす。本来、主のものに触れるのは厳禁なのだが、そんな意識も頭になかった。――その絵本は、よく結香が広志こうじにせがんで読んでもらったものだったから。
 広志――桐島きりしま 広志。小笠家の元使用人で結香の世話人兼遊び相手……そして、今は結香の主であり奪われかけた小笠の全てを奪い返した男。結香は自分の前で冷淡に笑う男を思い出し、小さく溜め息を吐いた。
 昔の彼は優しかった。――どんな我儘わがままを言っても、彼は根気強く付き合ってくれる。そういう盲目的で絶対的な信頼が結香にはあった。……今でさえ、彼があのように豹変してしまったのが、時折夢のように思えるくらいに。
 いつの間にか絨毯じゅうたんの上に座り込んでいた結香は、そっと『オツベルと象』を膝に載せた。そっと表紙を撫でれば、ざらざらと痛んでいるのが判る。それだけ読み込んだ絵本を主が取っていてくれたことが、結香にはとても嬉しかった。
 表紙を開けば、次に出てくるのは冒頭の一文。結香は懐かしさの余りに唇を綻ばせて、静かにその文を指でなぞった。
「……ある牛飼いがものがたる」
 しかし、その文を追った声は結香のものではない。ハッと我に返った結香が振り返ると、そこには酷く複雑な表情の広志が立っていた。
「――私のものには勝手に触ってはいけない、そう言ったはずだけど?」
「あ……も、申し訳御座いません」
 禁を破ったところを見咎められた結香は、慌てて本を閉じて立ち上がろうとする。けれど、慌てすぎて足がもつれ、結局絨毯に向かって顔面から落ちる形となった。ただ、彼女が絨毯と仲良くなる前に、彼女の主がさっと支えてくれたために、顔面痛打は逃れたけれども。
「――ここの掃除は、君に懐かしいものが多すぎていけないね。今度から別の場所にしよう」
 結香は持っていた絵本を取られて、小さくなって頭を下げた。けれど、広志から肝心の叱責はなく、ただ寂寥せきりょう感に溢れた呟きだけが告げられる。それに結香は少し訝しく思ってちらりと主を見上げたが、彼の表情からは何も読み取ることはできなかった。




文中引用:宮沢賢治『オツベルと象

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534.ぬいぐるみ

突然の来訪者



「ようよう、可愛いお姉ちゃんよう」
「え……?」
 誰も居ないはずの部屋から、何だか酷く軟派な声が聞こえて来た。驚いて私は振り返ると、有り得ないものが目に飛び込んでくる。――だって、私のぬいぐるみが動いているなんて、一体誰が信じられるの?
「……うそ」
「嘘じゃねえよう。俺っちはイカす幽霊って奴でよう、ちいっとばかしこのぬいぐるみを器としてお借りしてえんだよう」
 開いた口が塞がらないとはまさにこのことだ。いくら私がお化けの類が見えるからって、こんな仕打ちがあって良いのだろうか。とは言え、ぐいぐいと腕を動かすウサギのぬいぐるみに、私はそろそろと近寄ってみた。
「あのー……どうして、その、私のぬいぐるみに?」
「お嬢ちゃんみたいに力がある娘の持ち物にはよう、力が宿るんだよう。だから、俺っちみたいにしがない幽霊でも、こうして器として宿ることができるんだよう。――それにお嬢ちゃん、東英高校だろ? 俺っちは東英高校に用があるんだよう」
「ウ、ウチの高校に、ですか?」
「そうだよう。俺っちの娘が東英に通ってるんだがよう、ちゃんと生活してんのか、一度しっかり確認してみたくてよう。それが俺っちの<未練>って奴なんだよう」
 聞けば聞くほど特徴のある話し方だと思いながら、私は全くその可愛らしい容貌にそぐわない調子の語りを聞いていた。どうやら最後に娘さんを一目でも見られたら、成仏できると言うのだ。
「よう、お嬢ちゃんよう。この哀れなおっさんに情けを掛けてくれよう。いくらこの器で多少の行動ができるようになっても、所詮これは借り物なんだよう。お嬢ちゃんが協力してくれなくっちゃ、俺っちはどうにもならないんだよう。――お嬢ちゃん、俺っちを高校まで連れて行ってくれよう」
「えええー!?」
 途中からぬいぐるみと喋っているという違和感すら忘れ、私は思わず大声を上げた。だ、だって、学校って……ウサギのぬいぐるみを学校に持っていく女子高生って……普通、居ないでしょう!? いくらなんでも……ちょっと、おかしいよねえ。
 そんな私の顔色で解ったのか、ぬいぐるみの人は喚き立てるように手をブンブンと振り回しながら更に言い立てた。
「大丈夫だよう! お嬢ちゃん可愛いから、ぬいぐるみを持ってても様になるようっ! だからよう、連れてってくれよう!」
「……あんまり気は進みませんが……」
「連れてってくれんのかようっ!?」
 だって、ここまで言われちゃ……断ったら、人非人みたいじゃないの。仕方なしに頷いたら、ぬいぐるみの人は飛び跳ねて喜んだ。――あーあ、これで私も変人の仲間入りってわけね……。
「俺っちは太久郎たくろうってんだ。優しいお嬢ちゃん、名前は?」
「あ……井上いのうえ、井上 温季はるきです」
「ハルちゃんかよう。良い名前じゃないかよう。……ま、俺っちの娘には劣るけどな!」
「さようですか」
 私は相手の娘自慢を話半分に聞き流しながら、いかに目立たずにぬいぐるみを高校へ持ち込むかに頭を悩ませていた。

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533.涙の痕

揺れる心



「……今日で、半年」
 シャルロッテは自室で小さく呟いた。二人分の重みを受け止めた寝台は、今も白さを保ったまま。シャルロッテは何も言わずに自分を待つ男に何を言うこともできずに、未だ沈黙を守っていた。



 グラルの王女として、王国を滅亡に追いやった男が憎かった。けれど、その感情はいつしか薄れて……今はもう、穏やかなだけだ。
 もし、マティアスがシャルロッテを粗雑に扱い、戦利品として手荒く奪ったのならば、いつかきっと仇を討つと覚悟することもできたであろう。けれど、彼はそれをしなかった。
 確かに禍根を断つという理由でシャルロッテの血縁男子を皆殺しにした。両親もその中に混じり、シャルロッテは妹とたった二人、抱き合ったままにその光景をまざまざと見せ付けられたのだ。
 しかし、同時に理解したこともある。マティアスは穢れを他の人間に与えない。己がしなければならないことに関しては逃げたりしない。グラルに攻め込む時も、彼はこのガルダーンで指図をして報告を待つだけでも良かったのだ。けれど、彼は自ら馬を駆り剣を取って、シャルロッテたちを手ずから脅かした。
 けれど、彼はそれ以上の蛮行を自分にも部下にも許さなかった。本来ならば奪った城でどのような蛮行を行おうとも、誰も咎め立てすることはない。部下とともに女を好きなだけいたぶろうが、食糧や金品を奪い去ろうが、彼らは全く問題なかったのだ。
 ――だが、マティアスはそれをしなかった。城の使用人たちは皆安全を保証され、厳しい監視下にはあったけれども仕事を続けさせたのだ。もしかしたら、彼らの中には報復と称して刃向かった者も居たかも知れない。けれども、少なくともシャルロッテは彼らガルダーンの者がグラルの人間に無体をしたという噂は聞かなかった。

「……そう、待っている」
 シャルロッテは再び口の端に言葉を載せた。
 彼は、自分を待っている。ずっと、これ以上はない譲歩をしてくれている。シャルロッテはそれが恨めしくもあり、申し訳なくもある。
 もし、彼が力尽くで自分を奪ってくれたなら、このような感情は抱くことはなかった。別に、初夜の時に奪ってくれて良かったのだ。敗戦国の王女として、それでも正当な地位を与えられたこと自体、既にシャルロッテには過ぎた待遇だったのだから。その上、シャルロッテには最大の弱点であるベアトリスが居る。彼女の安全を盾に取れば、シャルロッテなど簡単に言いなりにできたのだ。
 けれど、マティアスはそのどれもせずに、ひたすらにシャルロッテを待ち続ける。今も、ずっと。
「……それでも、グラルを裏切るなんて……わたくしにはできない」
 そう、自分はグラルの王女なのだ。そして、国を、自分たちを守るためにたくさんの民草が死んでいった。その彼らを全て捨てて、敵国におもねるなどできようか。――例え、自分が漆黒の髪と瞳を持つ異国の王に、惹かれていようとも。

 シャルロッテは揺れる心に蓋をするように、手で胸を押さえた。
 幾度も流した涙の痕は、今は乾いて跡形もない。その涙の原因を作ったのも、そして、その涙を拭ったのも、まぶたを閉じれば浮かぶ、厳格で冷酷、それでありながらとても優しいあの男性ひとなのだから。

Edit 16:59 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

532.マヨネーズ

玉子サンド



「……よし、これを刻んでマヨネーズでえれば……」
 私はゆで卵を細かく切り刻んだ後に、マヨネーズをたっぷりかけて混ぜ合わせた。程好く混ざったそれは、いかにも美味しそうだ。他の材料も全部用意できたし、後は作るだけ。

「……サンドイッチ」
「はい。今日はあまね君とのぞみちゃんもお弁当を持ってお外に遊びに行くというので、簡単にできるものにしてしまいました」
 作ったサンドイッチをお弁当箱に詰めていると、まだ寝起きのはるかさんが現れた。いつも使っているのは上垣うえがき家のお台所なので、こうしたことが偶にあるのだ。大抵は悠さんもしっかりと朝支度をして出てくるのだが、今日はどうやらお疲れモードのご様子。……それもそうか。何せ、研究がはかどらなくて困ってるらしいし。
 悠さんは大学院生で、現在は理工学の研究をしているそうだ。以前、どうな研究をしているのか聞いてみたことがあったのだけれど、突然判らない横文字がたくさん出てきたので、理解するのを諦めた。そんな悠さんは今日もお弁当を持って大学院へ。外にご飯を食べに行くのも惜しいらしく、今日はお弁当を頼まれたのだった。
「すまないな、朝っぱらから」
「とんでもない! 私なんて居候のただ飯食らいですからね。これくらい、当然ですよ!」
 悠さんがぼうっとした表情のまま、少し舌足らずな調子で声を掛けてくれる。ああ、優しいなあ……現代社会の世知辛さに痛めつけられた心が癒されて行くよ……。
 私は悠さんの癒し効果に心の中で涙しつつ、丁寧にお弁当箱にサンドイッチを詰めたのだった。

Edit 18:44 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

531.飲酒

宴会の行方



「こらあ! もっと酒持って来ーい!」
「はいはーい、ただ今っ!」
 ミシェルは恒例らしい宴会でぐるぐるとコマネズミのように働いていた。腕にいくつも盆を載せ、その上には更に料理や酒など様々なものを載せている。昔レストランでバイトしていた経験がこんな所で役に立つとは、とミシェルは小さく溜め息を吐いた。
 請われるがままに出される料理をガンガンとテーブルに置いて行く。時折は酔っ払った騎士たちに引っ張られ、酒臭い息を掛けられながら追加の注文さえも受けなければならない。――どうしてこんなことをしているのだろうかと、ミシェルは本気で訝った。

「――って、あーっ! デジレ、お前なあっ!」
「何だよ、五月蝿い奴だな」
 ぐるぐると周囲を回っていたミシェルは、この喧騒の中でも比較的静かに酒を飲んでいるメンバーの中にテオフィルの従騎士デジレの姿を発見し、思わず大声を出す。それに当のデジレは耳を塞いでミシェルを睨み付け、いかにも馬鹿にした様子で彼女を見返した。
「お、おまっ……! 下っ端だからと思ってこっちが必死に給仕している中で、お前一人悠々と酒呑みやがって……!」
「ふん、別に頼まれなかったからな」
 ミシェルはデジレの返答に、いっそ脳味噌が爆発するのじゃないかと思うほどに怒りを噴出させる。しかし、その彼女を後ろから引っ張り込んだ輩が居た。――勿論、彼女の主であるユーグだ。
「そろそろ休んでも良いぞ」
「……そういうわけにもいかないだろ。裏ではルイさんが鬼気迫る表情で料理作ってるし、下っ端の俺が休むわけにもいかないだろうし。
 もう少ししたら他が潰れ始めるだろうから、そうしたらもちっと楽になるだろ」
「――貧乏性と言うか、何と言うか……」
 ユーグの溜め息交じりの言葉にミシェルはむっと顔をしかめるが、何も言わずにその腕から逃れる。悠々とワインを呑んでいるデジレに鼻息荒く顔を背けると、ミシェルは再び嵐の中へと身を投じたのだった。

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  • Author:佐藤 ひろ
  • 一日一話目標に短篇小説を書いています。
    リンク先にシリーズ別になった過去ログも御座いますのでどうぞ。

 

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