佐藤 ひろによる短編小説集。

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975.発達途中、恋愛熟知

白椿の咲く頃に



「――本当に決めるとはさすがだよねえ」
「枠を譲ってもらって感謝してるわ」
 私は笑顔で佇む男に小さく呟いた。彼は首を少し傾げて笑い、私のどこか突き放したような調子にも全く怯まない。こういう時、お互いのことが大体分かっている幼馴染というのは辛いものだ。とは言え、幼馴染でもなければ私に推薦枠を譲るなどという行為もしてくれなかったろうが。
 私が選んだのは関東にあるとある国公立大学の推薦。我が高校からエントリーできるのがまずひとりきりだったため、ほとんど上位十位以内で通し続けた私が見事勝ち取った。上位三位に関しては旧帝大をそれぞれ受けるらしく、あちこちで張り切る声が聞こえている。彼らにとっては受験すらも障害物競争の障害に近いものがあるらしく、田舎の一高校の生徒にしてはバイタリティーがあると驚きを隠せない。
 かく言う私はといえば、長く――そして実を言えば現在も続いている――母と祖母との戦いに疲れ果て、早々に推薦で合格を決めたところだ。合格書類その他に関しては全て叔母の家へ郵送してもらうようお願いしてあるし、入学金などの振り込みに関しては父が店のお金を扱う際に一緒に入れてもらえるように頼んである。これで何とか一安心、と言ったところか。少なくとも、後四年間の自由は確保された、というだけの話かもしれないけれど。
「大丈夫、いざとなったら学生結婚でも何でもしちゃえば良いんだし」
「…………私、生活の安定は絶対必要だと思うわ」
「それは何とかするから安心して。――僕にその辺の手抜かりはあると思う?」
「まあ、ないでしょうけど」
 先に廊下を歩き出した私の後を追うように、日吉ひよし 明仁あきひとは続いて歩き出す。大体、私たちは付き合ってもいないのに既に結婚を前提にした話し合いをしている時点でおかしいと思う。それでもごり押ししてくるのは、さすがに日吉君と言ったところか。
「ま、僕もすぐに追いつくから待っててよ。大丈夫、絶対に受かってみせるから」
「貴方が言うならそうなんでしょうね」
「あれ、大言壮語とか自意識過剰とか言わないの?」
「言って欲しいわけ? ……貴方ならやるでしょうよ。私、貴方ほど有言実行の人間を見たことないもの」
「わあ、嬉しいな。琴子ことこさんにそう言ってもらえるなんて。頑張るね」
 本気で言っているのか、それともポーズなのか。私にはよく分からない。けれど、この男が何故か私をずっと好いていて、まるで刷り込みされた雛のように私の後を追ってくることを知っている。それはお互いにとって良いことか悪いことかも分からないけれど、ひとつだけ言えることは――このプライドの高い、自意識の高い男が惚れ込むほど、私は素晴らしい人間ではないってことだ。
「……私は時々、貴方が分からなくなるわ」
「本当? 嬉しいな。分からなくなるってことは、分かっていることと分かろうとしていることがあるってことでしょう?」
 しかも、この前向き思考がまた凄い。私にはとてもできない。けれど、これが本音なのか建前なのか、それすら私にはよく分からなかった。
「眉間にしわ」
「え?」
「良いんだよ、考えなくて。琴子さんはこういったことに今まで割ける余裕なんてなかったんだから。これからこれから。――僕が一から全て教えてあげるし」
 眉間にあてられた指先の冷たさと温かさ。男性にしては珍しく、彼はひどく冷え症だった。そのくせ、ひどく温かい。それは私が悩んでいること全てをお見通しだからだからだろうか。それとも、私自身が彼に何かを感じているからなのだろうか。分からないことに溜め息を吐いて、私はその考えを打ち切った。分からないものをいつまでも考えているのは健康に悪い。家にいる頃からひっきりなしに自分に求められるあれこれを考えさせられることに慣れた頭は、答えの出ない問題を切り離すことに長けていた。



「……ね、言ったでしょう?」
 引っ越しの準備をしていた私の許に訪れた日吉君は、ひどく楽しげな表情で私に合格通知を差し出した。そう言えば、今日は国公立の合格発表だったか、と私は頭の隅で思い出す。差し出されたその薄っぺらな紙に印字されているのは、私がこれから通う大学と同じ名前。本当にやったのかと驚くと同時に、そうだろうなと当り前に思う自分が居る。それを彼に返す私に、日吉君は笑った。
「これからも宜しくね、琴子さん。学科も一緒だからいつも一緒に居られるよ」
「……時折、貴方の意思はどこにあるのかと思うわ」
「嫌だなあ、別にどこの学科に行ったってかまやしないんだよ、僕は。だって、僕の望みは琴子さんと一緒に居ることなんだもの。勉強したいってものも特別ないし、本当に勉強したくなったら独学でやるから良いからね」
 あっさりと言い切る男が、時折怖くなる。けれど、もう逃げられないことも分かっているのだ。――この男の執着は、多分もう何にも止められない。私でも、彼でも、誰でも。
「僕が怖い、琴子さん?」
「……ええ」
「だろうね。これってストーカーの一歩手前どころかそのものに近いし。一応、嫌がらせはしてないつもりだけど」
「私もされた覚えはないわね」
 その言葉に日吉君が笑う。その笑みはひどく楽しげでありながら、同時にひどく純粋だった。この気持ちにどうして応えられるだけの素地がないのかと、自分が情けなくなるくらいには。
「言ったでしょ、琴子さん。――僕が一から全て教えてあげるって。あの人たちからも守ってあげる。だから、琴子さんは僕の腕の中で守られて、成長すれば良いんだよ。……って言ったって、聞いてくれるような人じゃないのは知ってるけど」
「貴方がどうして私を選ぶのか、私には理解できないわ」
「しなくて良いよ、それは僕の問題だから。僕は君に全てを理解してもらおうとは思わないし、できるとも思ってない。それと同時に僕もまた君をどんなに好きになっても、完全な理解はできないから。――でも、だからこそ傍に居たいと思うんだ。だって、知らないから知りたいっていうのは自然なことでしょう?」
「……そうね。確かに」
 言い切る強さが羨ましかった。視界の端で白い椿がぽとりと首を落とす。その椿はまるで私の首のようで、私は自分の運命を予言された気分になった。多分、そう、私はもう逃げられない。でも、きっとそれで良いのだろう。
「……まだ、もう少しだけ待っていて」
「うん、分かってる。大丈夫、もう十何年待ってるからね。別に今更数年増えたところで大した変わりはないよ」
 頬に伸ばされた手は冷たい。私は無意識にその手の上から自分の頬に手を当てて、彼の手を温めた。それに日吉君はひどく嬉しそうな顔で目を細める。私たちの間を強い風が吹き通って行く。――もうすぐ傍に春が来ているのだ。
「……これから恵梨奈えりなは大変ね。あの子、結局あそこしか受からなかったみたいだし」
「ああ、あの馬鹿学校」
「せめてお嬢様学校と言ってあげて。まあ、勉強もせずに遊び歩いていたのが良くなかったんでしょうけどね」
 私はもうひとつ頭を悩ませる人物について口を開く。日吉君の正直な意見そのままに、妹が通うことになっている高校は偏差値の低い、けれどそれなりに裕福な家庭の子どもが通う女子高だった。もうああなってしまえば、将来はどこかに嫁ぐぐらいしか開けないだろう。あの子が本気にならない限り、だが。
「ま、無理だろうねえ。良いんじゃない、それこそ店継いでもらったら。ほら、ちょっとイケメンの頭が良くて外面の良さそうな男を店で釣れば良いんだよ」
「貴方って人は……まあ、両親も祖母も似たようなことは考えているでしょうけどね」
「あの子にはそれが合ってると思うよ。自分で考えると自滅しそうだし。適当に手綱引いてもらってた方が良い人間もいるさ。ま、御せと言われた方は災難だけどねえ」
 人の妹を散々言ってくれるものだ、と思う。けれど、私も彼女の欠点なら嫌というほど分かっているのだ。
 だからせめて、少なくとも不幸にならないでもらいたいと思った。嫌いでも、憎くても、やはり血のつながった妹なのだ。それゆえに私はいつまでも彼女への甘さが抜け切れない。姉だからなのか、肉親だからなのか、それは私にもよく分からない。でも、彼女が不幸になったと聞けば、自業自得だと思っても不憫に思うだろう。だからこそ私はきっと子どもなのだろうと思うけれど。
「琴子さんはそのままで良いよ。そういう汚いのは僕が引き受けるから」
「――貴方は私を甘やかし過ぎる」
「良いんだよ、甘やかしたいんだから。だって普段は甘やかされてなんてくれないんだもの。これくらいしたって良いでしょう?」
 私は日吉君の言葉に小さく溜め息を吐いた。――やっぱり理解できない。
 けれど、彼の言動が快いことも確かだった。それは自分に甘いからなのか、それとも彼への恋情なのか。それすらも分からないままだけれど、私は彼と一緒にこれからも生きていく。



白椿の咲く頃に

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